朝ドラ「らんまん」槙野万太郎と牧野富太郎 どこまで本当?フィクション?

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NHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」高知県民待望の「らんまん」が始まりました!

高知では何年も前から「朝ドラに牧野富太郎を」と、署名活動が行われていました。私も署名したよ、そんな高知県民の声が少しはNHKさんの心を動かしたかな

毎朝楽しみに観ておりますが、牧野富太郎の地元佐川町出身の私でも「へ~そうだったの??」と知らないことが色々出てきます。

これってどこまでが本当(史実)で、どこがフィクションなのか気になるポイントを調べてみました。

ネタバレになっちゃうので先の事は書かず、放送された内容を順次調べて紹介していきます。上から時系列で少しずつ増やしていきますね。

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牧野富太郎とは

文久2年(1862)4月24日~昭和32年(1957)1月18日、94歳没
高知県高岡郡佐川町出身の植物学者

「日本の植物学の父」といわれ、多くの新種を発見し命名した近代植物分類学の権威

高知県人は皆知っている高名な植物学者、牧野博士。でも県外の人々には残念ながらあまり知られていないのよね。「誰それ?」という感じ。

今回の朝ドラで認知度がぐっとあがって、「高知県出身のそんな有名な植物学者がいたんだね」と全国の方が知ってくれると思うと、とっても嬉しい。

なお、牧野富太郎については高知市五台山の「牧野植物園」や佐川町の生家跡にある「牧野富太郎ふるさと館」で詳しく紹介されております。

高知県立牧野植物園 THE KOCHI PREFECTURAL MAKINO BOTANICAL GARDEN
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牧野富太郎ふるさと館 | さかわのしおり[オフィシャル]さかわ観光協会
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らんまん高知編

スタートからしばらくは万太郎の少年時代で、高知県佐川町が舞台となります。

高知市に出かけるシーンもあるので、高知の色んな人物やエピソードが描かれて楽しみです。

牧野富太郎の生家

朝ドラ:「峰屋」という裕福な酒造業
史実:「岸屋」という裕福な酒造業と商家(雑貨業)

残念ながら「岸屋」は廃業しているけど、酒造りを行っていた酒蔵は司牡丹に受け継がれました。

ドラマの中では「峰の月」という銘柄のお酒を造っている設定になってたけど、実際に岸屋が作っていたのは「菊の露」というお酒です。

酒の銘柄
朝ドラ「峰の月」 
史実「菊の露」

↓こちら旧浜口家住宅に飾られている当時使われていた「菊の露」のとっくりです。これに入れて量り売りをしてたんですね。

その後、台風で倒壊して岸屋当時の酒蔵は無くなってるけど、司牡丹を作る酒蔵の長い白壁の「酒蔵の道」は地元に愛され、色々なイベント会場となっています。

佐川町にはかつて、9つもの酒蔵があったそうです(知らなかった!一体どこに??)そのうち明治末期まで残っていた4つの蔵を統合してできたのが現在の司牡丹酒造という歴史があります。

ドラマでお金持ちのぼっちゃんとして描かれている万太郎、実際に富太郎もお坊ちゃんだったんですね。

富太郎少年の家族

朝ドラ:父と祖父は既に亡くなり、病弱な母(広末涼子)と厳しい祖母(松坂慶子)勝気な姉(佐久間由衣)との4人家族

史実:富太郎3歳で父、5歳で母、6歳で祖父が亡くなり祖母に育てられる。姉はおらず一人っ子

朝ドラ観て「えっお姉さんいたっけ??」と思ったけど、そこはフィクションでした。勝ち気な姉が万太郎君を叱るところとか、ちょっと坂本龍馬と乙女ねえやんを意識してるのかなと連想する。

このお姉さんの恋心や酒蔵の女人禁制などが描かれていくようで、物語に深みを増す存在なのね。

また、ドラマでは岸屋跡取りの孫を厳しく育てる祖母・タキ(松坂慶子)ですが、史実では祖母・浪子は祖父の後妻であり富太郎とは血のつながりは無かったそうです。そして、もっと孫に甘かったようですよ。

富太郎と龍馬

朝ドラでは放送2回目にして坂本龍馬さんが登場、しかもディーン様演じる天狗龍馬は土佐弁もお似合いで、「朝がきた」を彷彿とさせるかっこよさ、朝ドラファンにはたまりません。

でも、富太郎と龍馬は本当に交流があったの?年代同じなの?と気になるところ。

牧野富太郎 1862年~1957年
坂本龍馬 1836年~1867年

年代としては一応重なっている、富太郎5歳:龍馬31歳(亡くなる年)

朝ドラの出会いシーンもこのくらいの年齢を想定している感じなので、龍馬がお忍びで土佐に帰った際に出会ったという事かしら。

残念ながら二人に交流があったという証拠になるような文献などは残っていません。でも、同じ時代に生きた高知出身の偉人二人がこんなふうに出会っていたらいいよね、という心温まるファンタジーとして楽しめます。

山椒餅

二人が食べていた「山椒餅」は本当に佐川町の名物で、さくら祭りの時期は牧野公園の売店で売られていて子どもの頃買って帰った思い出があります。

私が子どもの頃食べた山椒餅は今では作られていないようです。佐川の和菓子屋さんが閉店したり、作り手が居なくなってしまったんですね。

↓これは旧浜口家住宅で売っていた様子(2021年4月)、「らんまん」の放送に合わせて山椒餅を復活させようという動きもあるようなので、今もまた売っているかも?

金峰神社

龍馬と万太郎が出会っていたのは「金峰神社」という神社。佐川の牧野公園にあるあの神社(という設定、ここで撮影したわけじゃないみたい)

旧浜口家住宅のすぐ裏に↓このような鳥居から続くながーい石段があります。

ながーい石段の上に神社が・・と思って登ったら無かった。古びた柱の跡だけがありました。

一度火事で焼失したのよね、その後再建されたそうなのでもっと奥まで進んで行くとあるらしいです?

金峰神社は牧野少年の遊び場だったという事ですが、牧野少年が上がったのはこちらの鳥居のある石段ではなく、牧野家のすぐ裏にあった石段。

こちらからも金峰神社に行けるそうです。

竹雄って居たの?

朝ドラでは志尊淳さん演じる、番頭の息子・竹雄が万太郎のお世話役というかお目付け役に任じられ常に付き添うことになります。

本当にこういう人物が居たのかな?と調べて見ると

史実
番頭:佐枝竹蔵
番頭の息子:佐枝熊吉

実際は熊吉という番頭の息子がおり、後に富太郎が東京を訪れる際も一緒に行ったそうです。けっこう史実に沿ってるのね

この番頭・佐枝さんは当時の「香美郡久枝村」の出身、これは現在の「南国市久枝」で高知空港の滑走路がある辺り。

こういう現実的な情報を知ると、ここ高知が牧野富太郎さんの生きた土地なんやな~としみじみ感じる。地元が舞台の朝ドラってこんな楽しみ方もできて嬉しいね。

なお、ドラマでは万太郎が番頭さんの懐中時計を分解してしまうシーンがありますが、あれは実話。富太郎少年は当時かなり珍しかった時計が気になって仕方なくバラバラにしちゃったそうです。

牧野富太郎生家跡に建っている「牧野富太郎ふるさと館」に、時計を分解した様子を再現して展示されています。

名教館(めいこうかん)

「めいきょうかん」かと思ってた。旧浜口家住宅の向かいに移築されきれいに改修された名教館の建物があります。

残念ながら建物全体は残っておらず、玄関部分のみが当時のものだそうです。

こちら無料で自由に出入りできます。イベントの時は飲食もOKという太っ腹。

中にはこのように当時の授業を再現して名教館に通った高知の偉人がずらりと並んでいます。

若き日の牧野博士ってイケメンよね、ちょっと氷川きよしに似てる

この写真パネル、裏に人物詳細が書かれています。

伊藤蘭林

一番前には先生である伊藤蘭林(いとうらんりん)さんがいらっしゃいます。ドラマでは寺脇康文さんが演じますよね(役名は池田蘭光)

伊藤蘭林:1815年~1895年、なのでドラマで万太郎が名教館に通い始めた9歳の時、実際の蘭林56歳ですね。

ドラマでは万太郎は名教館で初めて池田先生に出会ってますが、実際の富太郎は9歳頃から土井先生という方の寺子屋に通い始め読み書きを習い、その後伊藤蘭林の寺子屋に通い始めます。

ドラマで描かれる士族の子弟と町人の子では座る場所も上座と下座で差があったというエピソードは伊藤先生の寺子屋で実際にあった出来事です。町人は牧野富太郎と山本富太郎(偶然の同名)の2人だけだったそうなので、ドラマのぽっちゃりメガネ君はこの山本君がモデルかな。

あのぽっちゃりメガネの同級生は堀見克礼という人物がメインのモデルになったようです。堀見克礼は富太郎より年下なので同級生ではないけれど父が医師でのちには大阪医科大学の教授になる人物です。

その後、制度が変わり寺子屋から名教館に通う先が変わり、そこで引き続き伊藤蘭林に教わりますが、再びの改正で名教館は無くなり小学校がその役目を引き継ぐことになります。

なお、伊藤蘭林の寺子屋を復元した建物が佐川郵便局の裏に建っています。

伊藤蘭林の寺子屋 | さかわのしおり[オフィシャル]さかわ観光協会
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撮影では牧野公園の目の前にある「青源寺」の石段が名教館の入り口として使われています。

青源寺には手前と奥の2か所石段があるけど、ドラマをよく見てみると手前の大きな銀杏の木がある方の石段と門が使われているようです。

青源寺は土佐三大名園の1つと言われる庭園を有する名刹です。

秋の紅葉の季節は素晴らしいのでぜひ訪れてみてください。

秋の佐川町「牧野公園の山野草」と「青源寺庭園の紅葉」
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武士の子、佑一郎くん

名教館に行った初日に万太郎をちょっといじめたイケメン武士の子、広瀬佑一郎。

後にはすっかり仲良くなって先生と3人で仁淀川キャンプしてたよね。あれ、どうやって寝たのか気になる、川石ゴロゴロの上に寝転んだのかな?

この広瀬佑一郎のモデルとなったのが、廣井勇(ひろい いさみ)、佐川町出身で牧野富太郎と同い年、実際に名教館で机を並べて学んだ中です。

廣井家は深尾家の家臣で、勇は9歳の時に父を亡くし11歳で男爵である東京の叔父の家で書生となります。ドラマの佑一郎の設定は史実とほぼ同じなんですね。

2021年、佐川町に廣井勇の銅像ができ、同時にできた「うえまち駅」でその業績が紹介されています。

佐川町観光「うえまち駅」明治時代の二等客車・ロ481号客車展示
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廣井勇は土木工学者で、日本の近代化に大きく貢献した方です。

日本初のコンクリート防波堤である小樽港の防波堤を設計したり、東京帝国大学の教授として優秀な土木建築者を育てるなど、廣井勇の業績を見るとものすごくて驚きます。

その割に知名度が低いのを建設関係の方々は前々から歯がゆく思っているらしいです。正直私もうえまち駅で資料を見るまで知りませんでした、郷土佐川町の偉人なのに、なさけなし。皆様よかったら見てみてね、ものすごい経歴だから↓

広井勇 - Wikipedia

「らんまん」では東京編でも成長した広瀬佑一郎が登場するようなので、これを機に廣井勇の知名度もあがったら嬉しいね。

寿衛子(すえこ)は菓子屋の娘?

佐川の牧野公園には、牧野博士が妻・寿衛子の名前を付けた「スエコ笹」が植えられています。ドラマでは文字は違うけど読みが同じ「寿恵子」という名前で登場し、浜辺美波さんが演じます。

ドラマの出会いのシーンでは寿恵子が菓子屋の娘で万太郎にお菓子を売ってるけど、本当にお菓子屋さんだったの?と思って調べてみました。

朝ドラ:西村寿恵子(浜辺美波)東京の下町で母と菓子屋「白梅堂」を営む
史実:小澤寿衛子、飯田町で母と兄弟と共に菓子屋営む

本当にお菓子屋さんでした。へーそうだったのか。

当時、富太郎青年は東京・麹町に下宿しており本郷の大学に通う行き帰りに前を通る飯田町の菓子屋(富太郎は甘い物好き)で働く寿衛子を見初めます。

麹町から本郷の大学まで歩いて通ってたのね、土地勘無いけど遠くない?と思いルート検索したら徒歩で約1時間。ただ飯田町(飯田橋の辺り)は通らないけど、昔と今では道が違ってるんだろうな。

お菓子屋のかわいい看板娘だった寿衛子さん、お父さんは彦根藩家臣で子どもの頃は裕福だったけど、お父さんが亡くなり家も財産も失ったお母さん(京都生まれのパワフル母さん)が始めた小さな菓子屋を手伝っていたそうです。

島崎和歌子が民権ばあさんに

4/24放送にとうとう高知家の姉さん島崎和歌子登場!

島崎さんが演じるのは「民権ばあさん」

民権ばあさん
朝ドラ:楠野 喜江(くすの よしえ)
史実:楠瀬 喜多(くすのせ きた)

ドラマでは万太郎のお姉さん、綾に女性の権利について熱く語っていましたが、実際の民権ばあさんはどんな人だったのでしょう。

楠瀬喜多

1836~1920、婦人運動家。高知県(当時の土佐藩)生まれ。通称、民権ばあさん。
1854年に剣術指南の土佐藩士と結婚するが、38才で死別。喜多が戸主となり選挙で投票しようとするが女性は選挙権がないと言われたのをきっかけに女性の参政権を求めて活動する。

楠瀬さんの活動は東京や大阪でも話題になり「民権ばあさん」と呼ばれるようになります。活動の結果、上町町議会では日本で初めて女性参政権が認められたのだからすごいね。

現在も高知市上町2丁目に「女性参政権発祥之地」と書いた石碑があります。ホテル城西館の辺りを北に入った高知市第四小学校の前です。

年齢的には牧野富太郎より26歳年上で、同じ時代に高知で生きた人物ではあるけど、交流があった記録はありません。でも富太郎青年も自由民権運動に参加していた時期があるので、もしかしたら出会っていたかも?

万太郎と綾が結婚?!

明らかになった衝撃の事実、実は姉弟じゃなくいとこ同士だった・・。

確かに結婚できるけど、そりゃ無茶だよおばあちゃん、と視聴者みんな思ったはず。ところがこれ、史実なんです。

実は牧野富太郎は愛妻・寿衛子さんと結婚する前に3歳年下のいとこ猶(なお)と結婚してるんです。でも、ドラマのように家業のため結婚するようおばあちゃんに入籍させられただけで、実際に夫婦らしい生活は送ってないようです。

富太郎は東京で研究、猶は佐川で酒造業を切り盛りしつつ富太郎に送金しており、もちろん2人の間に子どもはおりません。ドラマでは姉になってるけど、史実では妹のような存在だった牧野猶が槙野綾のモデルなんですね。

え、じゃあ寿衛子との結婚はどうなるの?と気になるところですが、ネタバレになっちゃうので今はここまで。

シブい宇崎ジョン万次郎

また一人高知の偉人が登場しました、ジョン万こと中浜万次郎です。

大河ドラマ「龍馬伝」ではトータス松本さんが演じていたジョン万次郎、今回は宇崎竜童さんが演じます。

史実の年齢差:ジョン万次郎より -8歳:龍馬 -35歳:富太郎

この実際の年齢差から考えると、ドラマで2人が出会った富太郎20歳の時、ジョン万次郎55歳。宇崎竜童さんは現在77歳なのでかなり年上の方が演じてることになるけど、宇崎ジョン万しぶくて素敵、土佐弁もお似合いです。

ジョン万次郎は47歳で脳溢血で倒れ全快するも、その後は静かに暮らしたそうなので、ドラマで描かれているように静かな隠遁生活をしていたのは事実。しかし、残念ながら牧野富太郎と交流があったという史実はありませんので、これも素敵なファンタジーです。

ジョン万次郎とは

1827~1898、土佐国幡多郡中ノ浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)で貧しい漁師の次男として生まれる。
14歳の時、漂流し無人島で143日生き抜きアメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡り英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。
24歳で日本に帰国、日米和親条約の締結に尽力、通訳・教授などでも活躍した。

ちなみにジョン万次郎の故郷である土佐清水市を中心に「ジョン万次郎を大河ドラマの主人公に」という署名活動が行われています。

ジョン万次郎を大河ドラマに! 署名活動のお願い  | 土佐清水商工会議所
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波乱万丈なジョン万次郎の人生、舞台は日本、ハワイ、サンフランシスコと見ごたえあるドラマができあがりそうですよね。いつか実現する日がきたら嬉しいな。

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らんまん東京編

病弱な万太郎坊ちゃんも成長し、植物の研究をすべく東京に旅立ちます。

といってもノープランな世間知らずの万太郎、大丈夫?!と視聴者全員が心配になっていたところ、竹雄が一緒に行ってくれると聞いてほっと胸をなでおろしましたよね。

万太郎、貧乏長屋に住む?!

お坊ちゃんの万太郎、荷物が多すぎて下宿先が見つからず、ひょんなことから貧乏長屋で暮らし始めます。

実際の富太郎はどうだったのか?

東京での暮らしは実際は竹雄のような何でもやってくれる従者のような人はおらず、一人暮らし。家事全般できない富太郎が長屋で暮らすのは無理ですよね、お坊ちゃんだし当然のように普通のお家に間借りする下宿暮らしでした。朝ドラでは下宿ってよく登場するけど、食事付きで洗濯などの家事もやってくれてるから、富太郎もそうだったのでは?

朝ドラ:貧乏長屋の十徳長屋、家賃5銭
史実:飯田橋で下宿、家賃4円

東京に行ってすぐは飯田町六丁目(現在の飯田橋四丁目あたり)に下宿住まい、寿衛子と出会った頃は麹町三番町(現在の千代田区麹町三丁目)で下宿住まいでした。

朝ドラで描かれている万太郎が東京で暮らし始めたのは、史実を参考にすると22歳くらい。実際の富太郎はこの先5年ほどは東京と高知を1年ごとに行ったり来たりして暮らします。

そして富太郎が寿衛子と出会ったのは26歳の時、でも朝ドラの万太郎はすぐに再会を果たすみたいね。

寿衛子は妾の子?

寿恵子のお母さん「西村まつ」役は牧瀬里穂さん。広末や牧瀬がお母さん役のお年頃なのね、感慨深い。ちなみに牧瀬里穂さん現在51歳、お美しい。

朝ドラでは「元柳橋の有名芸者」という設定になっているけど実際はどうだったの?

朝ドラ:西村まつ…元柳橋の有名芸者、武家の妾で寿恵子の母
史実:小沢あい…京都出身、夫は彦根藩主井伊家の家臣・小沢一政

史実では寿衛子も幼い頃は豪邸に暮らし、唄や踊りを習うお嬢様生活をしていた(父死亡により家、財産を失い貧乏暮らしに)とあり、妾であるという記載は見つけられません。

芸者だったとする情報もあるけど、エビデンスが不明。もし本当に元芸者であればお武家様の本妻ではなく妾であった可能性が高そうですね。

薩摩のイケメン実業家、高藤

朝ドラを観る楽しみの一つに、主演以外でこの後ブレイクするのは誰かな?と予想するというポイントがあります。

有村架純ちゃんも「あまちゃん」で小泉今日子の娘時代を演じてブレイクしたし、「スカーレット」ではちょっと地味な役だった松下洸平さんもすっかり売れっ子俳優さんですよね。

「らんまん」もそういう視点で楽しんでる私ですが、これはくるなと思ったのが、寿恵子に惹かれる元薩摩藩士の実業家・高藤雅修。演じるのは伊礼彼方(いれい かなた)さん。

高藤さんは元薩摩藩士ということですが、特に史実に該当する人物は無く、万太郎と寿恵子の恋を盛り上げる存在として加えられたキャラクターのようです。

伊礼彼方さん、かっこいいね~日本人離れしたお顔立ちと思ったら沖縄出身の日本人の父とチリ人の母を持ち、幼少期はアルゼンチンで育ったそうです。

中学から日本で育ち、バンド活動からミュージカル俳優へ。ミュージカル界では既に人気の実力派、今年41歳。

出演ミュージカル見て見たらすごい数、私が気になったのは「テニスの王子様・佐伯虎次郎 役」「王家の紋章・ライアン役」「北斗の拳・レイ役&ジュウザ役」(アニメに偏ってます)ほっほう、ライアン兄さん役やった方なのね!

テレビにはあまり出ていないけど、音楽とミュージカルではすでに地位を確立されている伊礼彼方さん、「らんまん」後はきっと民放ドラマ・CMでも活躍するはず。

石版印刷の大畑さん

本を作るのに自分で印刷技術を勉強しちゃおうと考え付く万太郎すごいよね。

そこで万太郎が向かったのが石版印刷の工場、そこの工場長が奥田瑛二さんが演じる大畑義平。更に奥さんイチさんも登場しますが、ドラマで見かけるのは久しぶり朝ドラ初出演の鶴田真由さん

うちのだんなさんは鶴田真由さんがポテトチップスのCMをしていた頃からの30年以上のファンなので朝ドラを観る喜びが倍増しております。

この牧野さんが印刷技術を習いに行ったというエピソード、本当なんです。牧野富太郎自叙伝にも「一年間神田錦町の小さな石版屋で石版印刷の技術を習得した。石版印刷の機械も一台購入し郷里へ送った。」と書かれています。

朝ドラ:大畑義平(おおはたぎへい)
史実:太田義二(おおたよしじ)

太田義二さんに関しては歴史上の人物というわけではないので、ほとんど情報は出てきませんが、福島の博物館に太田さんの作品とされる明治天皇・皇后の肖像図が残されています。

≪福島県歴史資料館≫

福島県史料情報 第15号 | 福島県史料情報 | 収蔵資料と刊行物・目録 | 福島県歴史資料館

石版印刷については、明治から昭和初期に行われていた印刷技術ですが、印刷に使う石灰石は大変高価で重量が重く、なかなか大変な作業だったようです。

こちら↓で当時の現物の石版石が展示されています。

≪国立印刷局≫

独立行政法人 国立印刷局 - お札と切手の博物館 - 石版石
...

朝ドラの印刷所ではガタイのいい男衆がやってたもんね。しかし、そんな高価な石版印刷を自費でやろうと気軽に言う牧野さん、大丈夫かしら・・

この印刷屋のご夫婦は今後の万太郎の人生に大きな影響を与える存在となります、それをまた楽しみに観ていこう。

三人で植物学雑誌を作る

大学に通い始めた万太郎、初めはちょっと微妙な空気だったけど2年生の2人とはすっかり仲良しで一緒に植物学雑誌を作ろうと毎日がんばってますよね。

この仲良しの2人、藤丸次郎(役:前原瑞樹)と波多野泰久(役:前原滉)に実際のモデルは居たのか?調べてみました。

朝ドラ:藤丸次郎…英語が苦手な酒屋の息子
史実:田中延次郎…酒問屋の長男、菌類学者
朝ドラ:波多野泰久…英語が得意
史実:染谷徳五郎…牧野・市川(後の田中)と共に『植物学雑誌』を作る

田中延次郎 (たなか のぶじろう、旧姓 市川)は日本で最初の近代菌類学書、『日本菌類図説』を書いたなど著名な菌類学者として記録が残るが、染谷徳五郎に関してはほとんどデータが残っていない。

牧野富太郎自叙伝には「市川は器用な男で、なかなか通人であり、染谷は筆をもつのが好きな男だった。私はこの両人とは極めて懇意にしていた。市川の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに行った。」と書かれており、実際に朝ドラで描かれるような交流があったことが伺われます。

『植物学雑誌』に掲載する論文「猫と植物について書いた」とか「すっぽんたけについて」と言ってましたよね、実際書かれているんですよ

表紙・目次
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牧野博士は「ひるむしろ」について書いたんですね、下記サイトの右上からPDF版でダウンロードすると万太郎が苦労して描いていたヒルムシロの絵も見られますので良かったらどうぞ。

[title in Japanese]
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万太郎と寿恵子 何歳で結婚?

高藤さまにヤキモキさせられましたが、やっとめでたく結婚となりました。良かった良かった。

二人の結婚を取り持ったのが印刷所の大畑さん、これは史実に沿っており、牧野富太郎の自叙伝にも「仲人は石版印刷屋の親爺」と書かれています。

ところで万太郎と寿恵子の年齢差はどのくらいでしょうか

2人の年齢差
朝ドラ・・寿恵子が3歳年下、万太郎20歳・寿恵子17歳で結婚
史実・・・寿衛子が11歳年下、富太郎26歳・寿衛子15歳で結婚

実際はけっこう年の差夫婦で、結婚したのは寿恵子15歳の時です。

15歳!と、ちょっと驚きますが、一回り年上のだんなさんという夫婦は私の友人にもおりますし、年がいくとそんなに不自然じゃないのよね。

ちなみに、朝ドラ設定では竹雄が万太郎の4歳上、綾が3歳上なので、竹雄24歳・綾23歳・万太郎20歳・寿恵子17歳

史実では結婚後は根岸の御院殿跡(台東区根岸2丁目)で新婚生活をスタートさせています。

石版印刷機いくら?

なんと石版印刷機一式を買っちゃいましたね。全部で1000円、峰屋からもらったお金を丸ごと使い、すっからかん。

さて、1000円と言われてもピンときません。今の価値に換算するといくらなのかしら?

三菱UFJ信託銀行の記事によると「明治時代の1円は現在の2万円の価値」というデータがあります。これに照らし合わせると

石版印刷機 1000円→現在貨幣に置き換えると、2千万円

高い!そんなに高いのか!それをポンと渡した峰屋の綾姉さんもすごいけど、気前よく使っちゃう寿恵子もすごいね。

なお、大畑さんのところでも書いたけど牧野富太郎は実際に石版印刷機を買って、高知に送ってます。自叙伝では「1個買って高知に送っておいた」と軽いタッチで書かれてるけど、お金どうしたんだろう・・。

田邊教授ひどいよ

要潤さん演じる、東京大学植物学教室の教授・田邊彰久

初めは万太郎を気に入ってかわいがってくれてたのに、少しずつ溜まっていく嫉妬のような黒い感情・・・ついに万太郎を大学出入り禁止にしちゃいましたね。

万太郎は論文も教授と共著という形に書き直して誠意も見せたのに、完全シャットアウトされちゃいました。共著って言っても教授は何も書いてないじゃん!と思いますが、論文を発表する際には少しでも協力してくれた研究者や直接の関わりは無くともお世話になった恩師の名前を連ねるのは普通の事。現在でも論文の著者欄には5・6人の名前が書かれていることが多いです。

にしてもいきなり出入り禁止はひどいよって思うよね。この田邊教授のモデルとなっている人物は実際どうだったのでしょう?

矢田部 良吉(やたべ りょうきち)1851~1899
東京大学植物学教室の初代教授、1890年牧野富太郎を大学出入り禁止にする

本当に出入り禁止にしております、そして自分も植物学の本を出すと言ってたのも本当で、『日本植物図解』『日本植物編』という本を出版しています。

牧野富太郎自叙伝にはこの時の様子がつづられています。

「自分もお前とは別に、日本植物志を出版しようと思うから、今後お前には教室の書物も標品も見せる事は断る」というのである。私は甚だ困惑して、呆然としてしまった。私は麹町富士見町の矢田部先生宅に先生を訪ね懇願したが、矢田部先生は頑として聴かず強く拒絶された。私は大学の職員でもなく、学生で〔も〕ないので、それ以上自説を固持するわけにはゆかなかったので、悄然と先生宅を辞した。≪牧野富太郎自叙伝抜粋≫

朝ドラでも家に行ったシーンありましたね、実在の人物をモデルにした朝ドラって本当に丁寧に史実を織り込んで作ってあるんだなと知りました。

長女・園子(そのこ)

そのちゃん、亡くなってしまいました・・。悲しすぎる

史実としては知ってたけど、朝ドラでどう描くかはわからないと思ってたけど、やはり史実に沿って長女は幼くして亡くなりましたね。

史実:長女・園子、5歳で亡くなる

朝ドラ登場人物の名前は史実と少し変えてあるけど、そのちゃんは史実と同じ「園子」です。

朝ドラでは寿恵子と共に園子の死を受け止める万太郎ですが、実際の牧野富太郎は高知に帰っていて、死の知らせを受けてあわてて東京に戻っています。

そう、朝ドラでも高知の綾と竹雄の峰屋が破産、店を閉めることになりましたが、実際に富太郎の実家・岸屋も破綻して、店を閉める整理のため高知に行っていました。

朝ドラではお酒の腐造(ふぞう)を出してしまい、税金が払えなくて破綻していましたが、実際は研究のために湯水のようにお金を使いまくる富太郎に送金し続けた結果、どんどん店が傾いていったようです。

ここから富太郎の貧乏生活が始まります、朝ドラ万太郎と寿恵子の貧乏生活もどう描かれるのか。寿恵子は2人目妊娠中ですが、史実では寿衛子はなんと13人出産しています(園ちゃんはじめ全員が成人したわけではないけど)

貧乏で子だくさん、寿恵子さん大変よ、さぁどうなるか、がんばって!

心くん登場!ヤッコソウ発見

神木隆之介くんと寺田心くんの共演という映像に、萌えずにはいられない素晴らしい回でしたよね。

心くんは現在15歳なので、まだ子役と言えるのかな?あのぷにぷにほっぺでお人形みたいにかわいかった心くんがしっかりした少年になって、ほんと感慨深い。神木隆之介と寺田心と言えば映画「妖怪大戦争」の新旧主役ですよね。

今回、心くんが演じるのは高知のへんろ宿の息子、山元虎鉄(やまもとこてつ)、山中で植物採集をする万太郎と出会い、後に大発見となるヤッコソウが生えている場所を教えてあげます。

この山元虎鉄は2名の実在の人物の要素がブレンドされているようです。

朝ドラ:へんろ宿「角屋」の息子、山元虎鉄。ヤッコソウの場所を万太郎に教える
史実:
山本一、幡多郡の中学教師、生徒が見つけたヤッコソウを牧野博士に送る

吉永虎馬、牧野博士と同じ佐川出身、教師をしつつ植物採集をする牧野博士の弟子のような存在

ヤッコソウ発見の立役者となった土佐清水市の中学教師である山本一さんと、牧野博士と同郷で幼いころから植物採集をして博士と交流があった吉永虎馬さん。

実際、ヤッコソウの学名には山本の名が入っており、そのこともあり山本という姓の設定にしたんでしょうね。

より関係が深かったのは吉永虎馬で、出身が牧野博士と同じで幼いころから交流があり、小中高の教員をしつつ植物採集を行い、新種の発見もしています。後に本格的に研究を始め植物学者として特に苔の研究を行います。生涯を通して牧野博士の弟子であり植物研究仲間という関係でした。

ところで、ヤッコソウと言えば高知の牧野植物園に大きな模型があって、子どもの頃は「変な植物だな」と思っていました。今回、こんなにも植物学において大きな発見だったことを知りました。

東京都立大に牧野標本館という、牧野博士の残した植物標本を中心に保存している施設がありますが、そこのシンボルマークがヤッコソウになっています。大量に送られてくる植物標本を寿恵子がせっせと乾燥させて部屋にうず高く積まれていましたが、施設公式サイトを見てみると、今はそれがこんなに整然と保管されている、感慨深い。

らんまんの放送に合わせて9月まで企画展をやっています。牧野標本館と書かれた上にあるマーク、よく見るとヤッコソウでしょ?

台湾のオーギョーチ

晴れて大学職員になった万太郎、今度は台湾へ植物調査に向かうことになりました。

実際、牧野富太郎も明治29年(1896年)34歳の時に台湾に植物採集のため向かっています。台湾が日本領土だったのは1895年から50年間なので、牧野博士が行ったのは本当に占領すぐの時期で情勢も不安定だったようです。

朝ドラではピストルを持って行く事を固辞していましたが、実際は護身用のピストルを横浜で購入して持って行っています。戦争直後で日本人に敵対心を持つ者も多く、万太郎も言うように言葉の壁もあり実際はなかなか思うように植物採集ができなかったようです。

朝ドラで万太郎の台湾案内人をしてくれたのが陳志明さん、流ちょうな台湾語を話すこの俳優さんは台湾の方なのかしらと思ったけど、日本人です。

陳志明役:朝井大智(あさいだいち)
京都出身の俳優、台湾の富豪一族・霧峰林家の十代目子孫
上海の大学を卒業後、台湾でモデル・俳優として活動。
2019年から日本でも活動を開始。

台湾にルーツを持つ方でした、しかもすごいお家柄!だから日本語台湾語中国語もペラペラなのね。既に色んなドラマや映画で活躍、「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとして台湾を紹介してたりします。これから更に活躍しそう、覚えておこう。

はかどらなかった台湾での植物採集ですが、そこで出会ったのがオーギョーチという食用にもなる植物。

愛玉子(アイギョクシ、学名:Ficus pumila var. awkeotsang)
クワ科イチジク属のつる性植物。その果実から作られるゼリー状デザートをオーギョーチ(台湾語のò-giô-chíから)という。
台湾北部の山間地に自生する台湾固有の植物。
植物の中でもとりわけペクチンの含有量が多いため、加熱することなく固まる珍しい特質がある。
愛玉子ゼリーそのものはほぼ無味であり、レモン風味など各種シロップをかけて味付けする。台湾の夏の風物詩で、屋台やレストランなど幅広い場所で食べることが出来る。≪Wikipediaより抜粋≫

オーギョーチは日本でも食べられていて、佐川町のかき氷街道に参加しているココクレープさんのかき氷にも入っているものがあるそうですよ。

佐川町道の駅でかき氷「coco crepe」いちごシロップに生クリーム
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缶詰などで日本でも普通に売っています。カルディでも売ってるらしいので今度買ってみよう。

【楽天市場】台湾 「 愛玉ゼリー 」 ( 540g ×1缶) オーギョーチー 愛玉子 ドリンク トッピング おすすめ:TapiocaWorld
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竹雄と綾が東京に

万太郎の生家である佐川町の蔵元・峰屋は廃業してしまいましたが、その後料理修行をした竹雄と綾が東京にやってきて蕎麦屋台を始めました。子どもも2人できて、落ち着いた夫婦になった二人は幸せそうでホントに良かった。

では、実際はどうだったのでしょう?史実を確認してみました。

なお、竹雄のモデルとなったのは2人の人物で、1人は富太郎青年の初めての東京旅行に同行した当時の番頭の息子、佐枝熊吉

もう1人は綾のモデルである猶と力を合わせて祖母亡き後、岸屋を支えた番頭の井上和之助

朝ドラ:竹雄と綾が子ども2人と東京移住、蕎麦屋台を営む
史実:番頭・井上和之助と猶が結婚、子ども2人生まれる。佐川町で醤油屋をした後、静岡県焼津に移住

牧野富太郎と猶は書類上は夫婦(そう、寿衛子はずっと正式な妻ではなかったのです)だったけど、岸屋廃業を機に正式離婚しています。

そして、猶は一緒に店を支えた番頭・井上さんと結婚して、店名を岸屋から「井上和之助酒店」と変えてしばらくは酒店を続けていましたが1905年頃売却(司牡丹酒造の前身である黒金屋が買収)して、その後醤油屋→静岡へ移住となりました。

猶は晩年東京で暮らし、昭和25(1950年)85歳で亡くなりました。井上家の墓は千葉県松戸市にあり、猶さんもそこで永眠しています。

ということで、竹雄と綾のように東京に移住してみんなで仲良く暮らすというのはフィクションでしたが、猶と寿衛子が手紙のやり取りをしたり、晩年に猶が富太郎を訪ねたこともあったそうで、関係は良好だったようです。

寿恵子の店オープン

叔母さんの勧めで渋谷に待合茶屋を開いた寿恵子。経営は順調なようで万太郎の研究費をしっかり稼いでますね!

史実でも寿衛子はお店を開いています。

朝ドラ:寿恵子、渋谷に待合茶屋「山桃」を開く
史実:寿衛子、渋谷に待合茶屋「いまむら」を開く

お店の場所は渋谷の荒木山、現在の東京都渋谷区円山町。昭和に入ってからは円山と呼ばれるようになったが、それまでは佐賀、鍋島藩の荒木氏所有の土地だったため荒木山と呼ばれていた場所です。

なお、待合茶屋とは待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業のことで、芸妓さんとのお食事、お座敷遊びに利用されることが多い場所。厨房はなく、料理は仕出し屋から取り寄せました。

 

9/11放送回では、2人の紳士が「山桃」を訪れます。鉄道庁の役人・相島圭一と銀行員・小林一三。このお二人も歴史上の著名人です。

岩崎弥之助と一緒に叔母の料亭にも訪れていた役人・相島(役:森岡龍)のモデルは、東急グループ実質的創始者の五島慶太(1882-1959)

相島が「山桃」に連れてきた銀行員・小林一三(役:海宝直人)のモデルは、名前もそのまま阪急東宝グループ創始者である小林一三(1873-1957)

この2人は後に「西の小林・東の五島」と呼ばれる日本を代表する実業家となります。

果たして本当に牧野富太郎と何らかの交流があったのかは微妙、というか明確な資料はありません。ただ、寿衛子のお店はなかなか流行っていたようなので、もしかしたら本当にこんな会合があったかも知れませんね。

南方熊楠 登場

また歴史上の人物登場しました、南方熊楠。私の記憶では民俗学の文章を書く作家さん?と思ったけど、植物学?

和歌山県出身の南方熊楠は牧野富太郎の5歳年下で、あらゆる分野に秀でたすごい人でした。私の認識通り民俗学の著書もあり、柳田邦男と交流がありました。

南方 熊楠(みなかた くまぐす)1867-1941
「歩く百科事典」「知の巨人」と呼ばれる傑物で、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語を操り、古今東西あらゆる文献に接し博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野の学問を学ぶ。
科学雑誌『ネイチャー』に生涯で51本の論文が掲載されており、単著での掲載本数の歴代最高記録である。

特に生物学では、菌類の新しい種70種を発見し、新しい属となった粘菌も発見しています。牧野博士に手紙を送ったのは事実だけど、直接会ったことは無いそうです。でもドラマではもしかすると登場するかもしれないよね、とちょっと期待しています。

朝ドラでは以前大学で植物学教室の画工をしていた野宮さんが、熊楠と一緒に研究をすると万太郎に手紙を送ってきていますが、これもちゃんと史実に沿っています。

すごいのはドラマの中で熊楠が送って来た花が咲いたハチクの標本、万太郎が「120年に1度、花が咲く」と言ってたよね?史実を調べると実際に熊楠が牧野博士にハチクの標本を送ったのが1903年、そうちょうど今から120年前なのです、そしてなんと熊楠の地元和歌山県田辺市では今ハチクが開花しているんだって!

120年周期のハチク開花 竹やぶ各地で枯れる:紀伊民報AGARA|和歌山県のニュースサイト
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朝ドラ:野宮朔太郎→史実のモデル:平瀬作五郎、福井県出身で牧野富太郎の6歳年上。史実のエピソードに関しては、ほぼドラマそのままです。

平瀬作五郎(1856-1925)
植物学教室の画工として勤務したのち、自らもイチョウの研究を始め世界で初めてイチョウの精子を発見する。
大学を去り中学教師になるが、後に南方熊楠に誘われマツバランの共同研究を行う。

イチョウの精子発見という世界的大ニュースでしたが、当初世界の植物学者は信用せず、日本国内でも元画工ということで軽んじられ平瀬の業績とは認められませんでした。朝ドラでも波多野さんが悔しがってましたよね、史実もあの通りだったようです。

東京大学の公式サイトにも平瀬博士のイチョウの精子発見の経緯が詳しく紹介されています。東京大学理学部附属植物園には精子発見に至ったイチョウの木が現在も残されているそうです。

日本植物研究の歴史小石川植物園300年の歩み

平瀬博士の地元、福井県ではらんまん放送に合わせて特別展も行われています。

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らんまんに絵を送ろう

ドラマの最後に一般の方が描いた植物の絵が紹介されてるよね、これ誰でも応募できます。

NHKらんまん植物イラスト応募サイト

#朝ドラらんまん #らんまん植物図鑑
...

私も描いてみようかな、ガチでいくのかふわっといくのか悩ましいね。

とりあえず、ドラマを観ていて気になったポイントを調べてみました。ストーリーが進むにつれてまた気になるところを紹介していこうと思います。

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らんまん終了しちゃいましたね

最終週の月曜はいきなり万太郎と寿恵子は既に亡くなり、あの厳しかったおばあちゃんが年を取った末っ子の千鶴として再降臨していて驚いているうちに15分が終わってしまいました。

このまま進むのかと思ったけど、ちゃんと晩年の二人の姿も描かれ、最終回は涙なしには観られない、でも穏やかで優しい素晴らしいエンディングでした。

終盤、特に最終週の内容は、史実と比べるとかなりファンタジー要素多めに創られていて、らんまんファンの動揺を考慮してくれたのかなと感じました。

あまり一つ一つ現実を暴露するのも無粋なので、少しだけ牧野富太郎の歴史に触れておきますと

寿衛子のがんばりにより、東京都練馬区東大泉に新居を構えた牧野家ですが、その2年後に55歳で壽衛子は亡くなってしまいます。この時牧野博士66歳、仙台で発見した新種の笹に「スエコザサ」と名付けます。

寿衛子が亡くなってからは、娘たちが牧野博士と共に暮らし、最晩年は次女の鶴代が家事全般、秘書のような仕事もこなしていたそうで、ドラマの千鶴は鶴代さんがモデルなんでしょうね。

鶴代さんの孫、牧野博士にとってはひ孫になる男の子も一緒に暮らしていたそうなので、にぎやかで幸せな日々を送れていると天国の寿衛子も安心していたのでは(といっても博士は亡くなる直前まで研究に没頭しひ孫と遊ぶことは無かったらしい)

牧野博士は94歳で亡くなり、最後まで暮らした東大泉の自宅のあとは現在「牧野記念庭園」となっています。

感慨深いのは、この牧野記念庭園の学芸員として働かれているのが、博士と一緒に暮らしたひ孫の牧野一浡さんなんです。

ねりま人#130 牧野一浡さん(牧野記念庭園学芸員)|特集記事|とっておきの練馬
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いつか行ってみたいですね、そしてこれからも四季折々に牧野博士が愛した高知の植物を楽しみにしながら私も暮らしていこう。

草を褥に 木の根を枕 花と恋して九十年

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