NHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」高知県民待望の「らんまん」が始まりました!
高知では何年も前から「朝ドラに牧野富太郎を」と、署名活動が行われていました。私も署名したよ、そんな高知県民の声が少しはNHKさんの心を動かしたかな
毎朝楽しみに観ておりますが、牧野富太郎の地元佐川町出身の私でも「へ~そうだったの??」と知らないことが色々出てきます。
これってどこまでが本当(史実)で、どこがフィクションなのか気になるポイントを調べてみました。
ネタバレになっちゃうので先の事は書かず、放送された内容を順次調べて紹介していきます。上から時系列で少しずつ増やしていきますね。
牧野富太郎とは
高知県高岡郡佐川町出身の植物学者
「日本の植物学の父」といわれ、多くの新種を発見し命名した近代植物分類学の権威である。
高知県人は皆知っている高名な植物学者、牧野博士。でも県外の人々には残念ながらあまり知られていないのよね。「誰それ?」という感じ。
今回の朝ドラで認知度がぐっとあがって、「高知県出身のそんな有名な植物学者がいたんだね」と全国の方が知ってくれると思うと、とっても嬉しい。
なお、牧野富太郎については高知市五台山の「牧野植物園」や佐川町の生家跡にある「牧野富太郎ふるさと館」で詳しく紹介されております。
牧野富太郎の生家
史実:「岸屋」という裕福な酒造業と商家(雑貨業)
残念ながら「岸屋」は廃業しているけど、酒造りを行っていた酒蔵は司牡丹に受け継がれました。
ドラマの中では「峰の月」という銘柄のお酒を造っている設定になってたけど、実際に岸屋が作っていたのは「菊の露」というお酒です。
朝ドラ「峰の月」 史実「菊の露」
↓こちら旧浜口家住宅に飾られている当時使われていた「菊の露」のとっくりです。これに入れて量り売りをしてたんですね。
その後、台風で倒壊して岸屋当時の酒蔵は無くなってるけど、司牡丹を作る酒蔵の長い白壁の「酒蔵の道」は地元に愛され、色々なイベント会場となっています。
佐川町にはかつて、9つもの酒蔵があったそうです(知らなかった!一体どこに??)そのうち明治末期まで残っていた4つの蔵を統合してできたのが現在の司牡丹酒造という歴史があります。
ドラマでお金持ちのぼっちゃんとして描かれている万太郎、実際に富太郎もお坊ちゃんだったんですね。
富太郎少年の家族
史実:富太郎3歳で父、5歳で母、6歳で祖父が亡くなり祖母に育てられる。姉はおらず一人っ子
朝ドラ観て「えっお姉さんいたっけ??」と思ったけど、そこはフィクションでした。勝ち気な姉が万太郎君を叱るところとか、ちょっと坂本龍馬と乙女ねえやんを意識してるのかなと連想する。
このお姉さんの恋心や酒蔵の女人禁制などが描かれていくようで、物語に深みを増す存在なのね。
また、ドラマでは岸屋跡取りの孫を厳しく育てる祖母・タキ(松坂慶子)ですが、史実では祖母・浪子は祖父の後妻であり富太郎とは血のつながりは無かったそうです。そして、もっと孫に甘かったようですよ。
富太郎と龍馬
朝ドラでは放送2回目にして坂本龍馬さんが登場、しかもディーン様演じる天狗龍馬は土佐弁もお似合いで、「朝がきた」を彷彿とさせるかっこよさ、朝ドラファンにはたまりません。
でも、富太郎と龍馬は本当に交流があったの?年代同じなの?と気になるところ。
坂本龍馬 1836年~1867年
年代としては一応重なっている、富太郎5歳:龍馬31歳(亡くなる年)
朝ドラの出会いシーンもこのくらいの年齢を想定している感じなので、龍馬がお忍びで土佐に帰った際に出会ったという事かしら。
残念ながら二人に交流があったという証拠になるような文献などは残っていません。でも、同じ時代に生きた高知出身の偉人二人がこんなふうに出会っていたらいいよね、という心温まるファンタジーとして楽しめます。
山椒餅
二人が食べていた「山椒餅」は本当に佐川町の名物で、さくら祭りの時期は牧野公園の売店で売られていて子どもの頃買って帰った思い出があります。
私が子どもの頃食べた山椒餅は今では作られていないようです。佐川の和菓子屋さんが閉店したり、作り手が居なくなってしまったんですね。
↓これは旧浜口家住宅で売っていた様子(2021年4月)、「らんまん」の放送に合わせて山椒餅を復活させようという動きもあるようなので、今もまた売っているかも?
金峰神社
龍馬と万太郎が出会っていたのは「金峰神社」という神社。佐川の牧野公園にあるあの神社(という設定、ここで撮影したわけじゃないみたい)
旧浜口家住宅のすぐ裏に↓このような鳥居から続くながーい石段があります。
ながーい石段の上に神社が・・と思って登ったら無かった。古びた柱の跡だけがありました。
一度火事で焼失したのよね、その後再建されたそうなのでもっと奥まで進んで行くとあるらしいです?
金峰神社は牧野少年の遊び場だったという事ですが、牧野少年が上がったのはこちらの鳥居のある石段ではなく、牧野家のすぐ裏にあった石段。
こちらからも金峰神社に行けるそうです。
竹雄って居たの?
朝ドラでは志尊淳さん演じる、番頭の息子・竹雄が万太郎のお世話役というかお目付け役に任じられ常に付き添うことになります。
本当にこういう人物が居たのかな?と調べて見ると
番頭:佐枝竹蔵
番頭の息子:佐枝熊吉
実際は熊吉という番頭の息子がおり、後に富太郎が東京を訪れる際も一緒に行ったそうです。けっこう史実に沿ってるのね
この番頭・佐枝さんは当時の「香美郡久枝村」の出身、これは現在の「南国市久枝」で空港の滑走路がある辺り。
こういう現実的な情報を知ると、ここ高知が牧野富太郎さんの生きた土地なんやな~としみじみ感じる。地元が舞台の朝ドラってこんな楽しみ方もできて嬉しいね。
なお、ドラマでは万太郎が番頭さんの懐中時計を分解してしまうシーンがありますが、あれは実話。富太郎少年は当時かなり珍しかった時計が気になって仕方なくバラバラにしちゃったそうです。
牧野富太郎生家跡に建っている「牧野富太郎ふるさと館」に、時計を分解した様子を再現して展示されています。
名教館(めいこうかん)
「めいきょうかん」かと思ってた。旧浜口家住宅の向かいに移築されきれいに改修された名教館の建物があります。
残念ながら建物全体は残っておらず、玄関部分のみが当時のものだそうです。
こちら無料で自由に出入りできます。イベントの時は飲食もOKという太っ腹。
中にはこのように当時の授業を再現して名教館に通った高知の偉人がずらりと並んでいます。
若き日の牧野博士ってイケメンよね、ちょっと氷川きよしに似てる
この写真パネル、裏に人物詳細が書かれています。
伊藤蘭林
一番前には先生である伊藤蘭林(いとうらんりん)さんがいらっしゃいます。ドラマでは寺脇康文さんが演じますよね(役名は池田蘭光)
伊藤蘭林:1815年~1895年、なのでドラマで万太郎が名教館に通い始めた9歳の時、実際の蘭林56歳ですね。
ドラマでは万太郎は名教館で初めて池田先生に出会ってますが、実際の富太郎は9歳頃から土井先生という方の寺子屋に通い始め読み書きを習い、その後伊藤蘭林の寺子屋に通い始めます。
ドラマで描かれる士族の子弟と町人の子では座る場所も上座と下座で差があったというエピソードは伊藤先生の寺子屋で実際にあった出来事です。町人は牧野富太郎と山本富太郎(偶然の同名)の2人だけだったそうなので、ドラマのぽっちゃりメガネ君はこの山本君がモデルかな。
その後、制度が変わり寺子屋から名教館に通う先が変わり、そこで引き続き伊藤蘭林に教わりますが、再びの改正で名教館は無くなり小学校がその役目を引き継ぐことになります。
なお、伊藤蘭林の寺子屋を復元した建物が佐川郵便局の裏に建っています。
撮影では牧野公園の目の前にある「青源寺」の石段が名教館の入り口として使われています。
青源寺には手前と奥の2か所石段があるけど、ドラマをよく見てみると手前の大きな銀杏の木がある方の石段と門が使われているようです。
青源寺は土佐三大名園の1つと言われる庭園を有する名刹です。
秋の紅葉の季節は素晴らしいのでぜひ訪れてみてください。

武士の子、佑一郎くん
名教館に行った初日に万太郎をちょっといじめたイケメン武士の子、広瀬佑一郎。
後にはすっかり仲良くなって先生と3人で仁淀川キャンプしてたよね。あれ、どうやって寝たのか気になる、川石ゴロゴロの上に寝転んだのかな?
この広瀬佑一郎のモデルとなったのが、廣井勇(ひろい いさみ)、佐川町出身で牧野富太郎と同い年、実際に名教館で机を並べて学んだ中です。
廣井家は深尾家の家臣で、勇は9歳の時に父を亡くし11歳で男爵である東京の叔父の家で書生となります。ドラマの佑一郎の設定は史実とほぼ同じなんですね。
2021年、佐川町に廣井勇の銅像ができ、同時にできた「うえまち駅」でその業績が紹介されています。

廣井勇は土木工学者で、日本の近代化に大きく貢献した方です。
日本初のコンクリート防波堤である小樽港の防波堤を設計したり、東京帝国大学の教授として優秀な土木建築者を育てるなど、廣井勇の業績を見るとものすごくて驚きます。
その割に知名度が低いのが建設関係の方々は前々から歯がゆく思っているらしいです。正直私もうえまち駅で資料を見るまで知りませんでした、郷土佐川町の偉人なのに、なさけなし。皆様よかったら見てみてね、ものすごい経歴だから↓

「らんまん」では東京編でも成長した広瀬佑一郎が登場するようなので、これを機に廣井勇の知名度もあがったら嬉しいね。
寿衛子(すえこ)は菓子屋の娘?
佐川の牧野公園には、牧野博士が妻・寿衛子の名前を付けた「スエコ笹」が植えられています。ドラマでは文字は違うけど読みが同じ「寿恵子」という名前で登場し、浜辺美波さんが演じます。
ドラマの出会いのシーンでは寿恵子が菓子屋の娘で万太郎にお菓子を売ってるけど、本当にお菓子屋さんだったの?と思って調べてみました。
史実:小澤寿衛子、飯田町で母と兄弟と共に菓子屋営む
本当にお菓子屋さんでした。へーそうだったのか。
当時、富太郎青年は東京・麹町に下宿しており本郷の大学に通う行き帰りに前を通る飯田町の菓子屋(富太郎は甘い物好き)で働く寿衛子を見初めます。
麹町から本郷の大学まで歩いて通ってたのね、土地勘無いけど遠くない?と思いルート検索したら徒歩で約1時間。ただ飯田町(飯田橋の辺り)は通らないけど、昔と今では道が違ってるんだろうな。
お菓子屋のかわいい看板娘だった寿衛子さん、お父さんは彦根藩家臣で子どもの頃は裕福だったけど、お父さんが亡くなり家も財産も失ったお母さん(京都生まれのパワフル母さん)が始めた小さな菓子屋を手伝っていたそうです。
島崎和歌子が民権ばあさんに
4/24放送にとうとう高知家の姉さん島崎和歌子登場!
島崎さんが演じるのは「民権ばあさん」
朝ドラ:楠野 喜江(くすの よしえ)
史実:楠瀬 喜多(くすのせ きた)
ドラマでは万太郎のお姉さん、綾に女性の権利について熱く語っていましたが、実際の民権ばあさんはどんな人だったのでしょう。
楠瀬喜多
1854年に剣術指南の土佐藩士と結婚するが、38才で死別。喜多が戸主となり選挙で投票しようとするが女性は選挙権がないと言われたのをきっかけに女性の参政権を求めて活動する。
楠瀬さんの活動は東京や大阪でも話題になり「民権ばあさん」と呼ばれるようになります。活動の結果、上町町議会では日本で初めて女性参政権が認められたのだからすごいね。
現在も高知市上町2丁目に「女性参政権発祥之地」と書いた石碑があります。ホテル城西館の辺りを北に入った高知市第四小学校の前です。
年齢的には牧野富太郎より26歳年上で、同じ時代に高知で生きた人物ではあるけど、交流があった記録はありません。でも富太郎青年も自由民権運動に参加していた時期があるので、もしかしたら出会っていたかも?
万太郎と綾が結婚?!
明らかになった衝撃の事実、実は姉弟じゃなくいとこ同士だった・・。
確かに結婚できるけど、そりゃ無茶だよおばあちゃん、と視聴者みんな思ったはず。ところがこれ、史実なんです。
実は牧野富太郎は愛妻・寿衛子さんと結婚する前に3歳年下のいとこ猶(なお)と結婚してるんです。でも、ドラマのように家業のため結婚するようおばあちゃんに入籍させられただけで、実際に夫婦らしい生活は送ってないようです。
富太郎は東京で研究、猶は佐川で酒造業を切り盛りしつつ富太郎に送金しており、もちろん2人の間に子どもはおりません。ドラマでは姉になってるけど、史実では妹のような存在だった牧野猶が槙野綾のモデルなんですね。
え、じゃあ寿衛子との結婚はどうなるの?と気になるところですが、ネタバレになっちゃうので今はここまで。
シブい宇崎ジョン万次郎
また一人高知の偉人が登場しました、ジョン万こと中浜万次郎です。
大河ドラマ「龍馬伝」ではトータス松本さんが演じていたジョン万次郎、今回は宇崎竜童さんが演じます。
この実際の年齢差から考えると、ドラマで2人が出会った富太郎20歳の時、ジョン万次郎55歳。宇崎竜童さんは現在77歳なのでかなり年上の方が演じてることになるけど、宇崎ジョン万しぶくて素敵、土佐弁もお似合いです。
ジョン万次郎は47歳で脳溢血で倒れ全快するも、その後は静かに暮らしたそうなので、ドラマで描かれているように静かな隠遁生活をしていたのは事実。しかし、残念ながら牧野富太郎と交流があったという史実はありませんので、これも素敵なファンタジーです。
ジョン万次郎とは
14歳の時、漂流し無人島で143日生き抜きアメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡り英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。
24歳で日本に帰国、日米和親条約の締結に尽力、通訳・教授などでも活躍した。
ちなみにジョン万次郎の故郷である土佐清水市を中心に「ジョン万次郎を大河ドラマの主人公に」という署名活動が行われています。
波乱万丈なジョン万次郎の人生、舞台は日本、ハワイ、サンフランシスコと見ごたえあるドラマができあがりそうですよね。いつか実現する日がきたら嬉しいな。
万太郎、貧乏長屋に住む?!
お坊ちゃんの万太郎、荷物が多すぎて下宿先が見つからず、ひょんなことから貧乏長屋で暮らし始めます。
実際の富太郎はどうだったのか?
東京での暮らしは実際は竹雄のような何でもやってくれる従者のような人はおらず、一人暮らし。家事全般できない富太郎が長屋で暮らすのは無理ですよね、お坊ちゃんだし当然のように普通のお家に間借りする下宿暮らしでした。朝ドラでは下宿ってよく登場するけど、食事付きで洗濯などの家事もやってくれてるから、富太郎もそうだったのでは?
史実:飯田橋で下宿、家賃4円
東京に行ってすぐは飯田町六丁目(現在の飯田橋四丁目あたり)に下宿住まい、寿衛子と出会った頃は麹町三番町(現在の千代田区麹町三丁目)で下宿住まいでした。
朝ドラで描かれている万太郎が東京で暮らし始めたのは、史実を参考にすると22歳くらい。実際の富太郎はこの先5年ほどは東京と高知を1年ごとに行ったり来たりして暮らします。
そして富太郎が寿衛子と出会ったのは26歳の時、でも朝ドラの万太郎はすぐに再会を果たすみたいね。
寿衛子は妾の子?
寿恵子のお母さん「西村まつ」役は牧瀬里穂さん。広末や牧瀬がお母さん役のお年頃なのね、感慨深い。ちなみに牧瀬里穂さん現在51歳、お美しい。
朝ドラでは「元柳橋の有名芸者」という設定になっているけど実際はどうだったの?
史実:小沢あい…京都出身、夫は彦根藩主井伊家の家臣・小沢一政
史実では寿衛子も幼い頃は豪邸に暮らし、唄や踊りを習うお嬢様生活をしていた(父死亡により家、財産を失い貧乏暮らしに)とあり、妾であるという記載は見つけられません。
芸者だったとする情報もあるけど、エビデンスが不明。もし本当に元芸者であればお武家様の本妻ではなく妾であった可能性が高そうですね。
らんまんに絵を送ろう
ドラマの最後に一般の方が描いた植物の絵が紹介されてるよね、これ誰でも応募できます。
NHKらんまん植物イラスト応募サイト

私も描いてみようかな、ガチでいくのかふわっといくのか悩ましいね。
とりあえず、ドラマを観ていて気になったポイントを調べてみました。ストーリーが進むにつれてまた気になるところを紹介していこうと思います。
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